淨連寺インタビュー|マニュアルズ|山梨県甲府市のホームページ制作・Web制作

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manualz letterINTERVIEW.61

2025年住職就任
仏教と現代社会をつなぐ新たな挑戦

CLIENT

日蓮宗 法岸山 淨蓮寺
住職

甲斐元浩 様

淨連寺インタビュー

山梨県韮崎市にある日蓮宗の寺院。開基・開山は江戸時代。境内には本堂のほかに七面天女像を祀る七面堂や、どのような人でも利用できる永代供養墓「淨蓮寺合祀墓」も設けられている。

INFORMATION

〒407-0046 山梨県韮崎市旭町上條南割3022
【TEL】0551-22-4439

https://jorenji.com/

40代からのキャリアチェンジで、
歴史ある寺院を受け継ぐ

淨連寺インタビュー
Q.淨蓮寺は江戸時代に開かれた歴史ある寺院ということですが、お寺の歴史を教えてください。

淨蓮寺は1611年(慶長16年)に法岸日順居士により現在のお寺がある場所から北東に700メートルほど離れたところにつくられ、その約50年後の1664年(寛文4年)に初代住職として淨心坊日慶上人が入山してはじまりました。いずれも江戸時代のことです。その頃、商人・徳島兵左衛門俊正が大規模用水路「徳島堰」をつくることになり、日慶上人に七面大明神をこの地にお呼びしたいと依頼して、七面天女像が奉納されました。七面大明神は女神さまで、日蓮宗が拠り所としている法華経を守る神さまであり、水を司る神さまでもあります。そのため、徳島堰の工事が順調に進むようにとの願いを込めてこの地にお招きしたのだと思います。この七面天女像は現在も七面堂にお祀りしていて、この地に伝わる最古の仏像として大切にお守りしています。

Q.甲斐さんはどのようなきっかけで淨蓮寺の住職になられたのでしょうか?

淨蓮寺は私の母の実家です。私が生まれた頃は里帰り出産が一般的で、私はここ韮崎で生まれました。ただ、生後1ヶ月ほどで当時両親が住んでいた横浜に戻ったので、育ちは横浜なんです。そのような環境だったので、私はお寺を受け継ぐという将来像を描くこともなく大学まで進学し、その後サラリーマンとしてパソコンを販売する会社で働いていました。ところが、そのうちに淨蓮寺の住職をつとめていた祖父、そして祖母も体調が悪くなり、母が淨蓮寺に戻って介護をしながら住職としてお寺を護ることになりました。その頃私は、会社での仕事で結果が出せるようになり、やりがいも感じていました。ただ、仕事を続けるなかで、貿易関係のビジネスへの興味も芽生え始めていました。ちょうどその頃、母は年齢を重ねたこともあって、お寺の仕事を一人で続けることが大変になってきて。母も介護とお寺の仕事を両立させていたわけだし、私も僧侶と新たな事業を両立していけるのではないかと考えて、会社を辞めて新規事業を立ち上げ、さらに僧侶になることも決心しました。40代に入った頃ですね。

Q.40代に入ってからのキャリアチェンジは大きな決断だと思いますが、今振り返っていかがですか?

大変でしたね。僧侶になるための修行をはじめたら、想像していた以上に体力的に辛いことも多くて。日蓮宗では僧侶は信行道場という道場に入ります。まず、その信行道場に入るまでに、読経、勉強、1週間ほどの短い修行をクリアしなくてはなりません。さらに、道場に入ってからは暗いうちに起床し、水行をします。春先はまだまだ寒くて、水をかぶると声が出なくなるんです。でもその後読経をしなくてはならない。座学の時間も正座です。若いうちは体も柔らかいのですが、40代に入ると体はかたくなりますので、足が痛い。とにかく体力的に厳しかったですね。なんとか道場での修行を終え、必要な資格は取ることができました。ただ、僧侶と貿易事業の両立も思った以上に大変でした。僧侶になってからは近隣のお寺のお葬式などのお手伝いに呼んでいただく機会も増えました。一方、事業の拠点は埼玉にあったので、山梨と埼玉を行ったり来たりする日々が続きました。そんな毎日を過ごすうちに、自分はこんな生活をしていて大丈夫なのだろうかと考えるようになったんです。どちらも中途半端になってしまっていないかと。そんな時に、日蓮宗の事務を担っている宗務所で会計を担当することになり、それをきっかけに完全に山梨に拠点を移して僧侶としての仕事に専念することにしました。そして今年(2025年)に淨蓮寺の住職を継承させていただきました。

淨連寺インタビュー

2025年住職就任。新たなチャレンジもスタート。

Q.今は僧侶としての道に専念されているということですが、以前と生き方や価値観は変わりましたか?

変わりましたね。仏教に出会って、仏教の教えに沿って行動するようになりました。例えば、道にゴミが落ちていたとします。以前の私なら見て見ぬふりをしたと思うんです。でも今は拾います。自分の行動で誰かが気持ちよくなったり、心地よく過ごせるならば、自分が捨てたゴミでなくても拾う。お釈迦さまは「すべてのものはつながっている」と説かれています。私たち人間はつながり合って生きています。だから、自分が捨てたものでなくても、ゴミを拾って誰かが気持ちよく過ごせるなら、それは巡り巡って自分の幸せにもつながる。そんな考えを大切にするようになったと思います。

Q.住職になられて、「てらのわ」を利用してお寺のHPを制作されました。いかがでしたか?

淨蓮寺が信頼できる寺院であると認識してもらうためにホームページは必要不可欠だと考えていました。マニュアルズさんの「てらのわ」はホームページのテンプレートで、お寺の歴史や見どころ、法要やお墓のことなど、どのような情報を掲載したらいいのかという具体的な項目を事前に提示していくださっているので、情報の整理がしやすく、とても効率的にホームページを作ることができました。写真もプロのカメラマンさんに撮影していただけますし、私がイメージした通りのホームページに仕上げていただけたと思っております。

Q.今後取り組んでいきたいこと、チャレンジしたいことはありますか?

今動き出しているのがペットの葬送事業です。淨蓮寺には常に動物がいて、今は室内に3匹、外に4匹、合わせて7匹の猫を飼っています。自分自身もそうですが、今はペットも大切な家族と考える人が増え、亡くなった後もしっかり見おくりたいというニーズが多いと感じています。そこで、火葬、葬儀、納骨とトータルで丁寧にお見おくりできるような体制を整え、2025年のうちにこの取り組みをスタートさせることができればと思っています。お寺はこれまで、僧侶やその家族と檀信徒という、とても限られた関係性のなかで成り立ってきました。しかし、お寺を次の世代に繋いで行くためには、もっと広い範囲に働きかけていく必要があると思っています。そして、仏教は必ず、今を生きる人たちの糧になります。会社員として外から仏教を見ていた経験を生かして、仏教と人々の橋渡しができる僧侶として活動していきたいです。

マニュアルズへひと言

淨蓮寺 甲斐様

マニュアルズさんとは「てらのわ(寺院業界に特化したWEBテンプレート)」を使った淨蓮寺のホームページと、新たにはじめるペットの葬送事業のホームページ作成でご一緒させていただいています。淨蓮寺のホームページはとても作業が進めやすかった上、「これぞお寺のホームページ」というイメージ通りのものに仕上げていただき大変感謝しております。ペットの葬送事業のページについては、完成したあと、さらにご相談したいこともあります。マニュアルズさんを頼りにしております。今後とも何卒よろしくお願いいたします。

淨蓮寺 甲斐様
ありがとうございました!

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